無彩色の彫刻が語りだす -- L・F・ペレスの音世界
                            寄稿:澤谷夏樹(音楽評論)

 ペレスの演奏を、静かに興奮しつつ聴いた。聴き手の感じる緊張感やその移り変わり、それがふっとゆるむときの安堵感をペレスは、音楽を通して司っている。
 たとえば、正確に時を刻む伴奏声部と、その時間を自由に盗んでは返すメロディー声部とが、離れつ戻りつ緊張の糸をたぐる。ピアノの発音の出ばな、言葉で言えば子音が多彩で、それが、それぞれ性格の異なる母音に乗って客席に届く。複数の登場人物を語り分けているかのよう。寄せては返す拍節感からは、弦楽器の弓づかいや管楽器の息づかいが聴こえる。
 こうしたことは「音の形」を造形するのに役立つ。「音の形」というのは文字通り、音が空間に放たれた時に、立方体なのか球体なのか、流線型なのかゴツゴツしているのかといったことを指す。ペレスはさきほどのような手さばきで、この「音の形」をさまざまに変化させていく。その変化が、緊張と緩和といった情緒の面だけでなく、フレーズの分節や作品の形式区分といった論理的な部分まで表現していくところが圧巻だ。
 重要なのはペレスが、派手な音色変化に頼らずにこれらを実現していること。色の点で言えばペレスのピアノは、水墨画の趣だ。ただし、その階調はとても豊かで、微細な明暗まできっちりと描き分ける。そればかりか、逆説的だが、黒の色味の違いまでも表現している。確かに水墨画でも、墨に一滴、紅を垂らしたり藍を加えたりすることで、黒みを細やかに表現する技法がある。ペレスはピアノでそれをしているのだ。「総天然色」でないがゆえに、聴き手はそこに、繊細な色味を見る。想像力を喚起する演奏とはこういうものだろう。

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 ベートーヴェンの「月光」ソナタでは、作品に埋め込まれた数々の「対話」が、きちんとドイツ語として聞こえてくるのに感心した。アウフタクト(上拍)が冠詞や前置詞に対応したり、フレーズの収め方がドイツ語の文末と響きあったり。パート間の対話だけでなく、ひとつの旋律に隠された一人二役のおしゃべりすら浮かび上がってくる。それが立体的な形を持った音として客席に運ばれるから、冒頭楽章の深いささやき合い、中間楽章の楽しくもしたたかな牽制のしあい、終楽章の激しくも凛々しい意見の応酬が、はっきりと目の前に展開されていく。
 ドビュッシーの「雪の上の足跡」「月の光」「喜びの島」でも、ペレスの音楽作りは光る。曲ごとに基本となる「音の形」が違うのはもちろん、作品それぞれの力加減の差異に神経がかよっている。ドビュッシーは作品に、従来の音階に基づく部分と、それとは異なる音階に基づく部分とを同居させている。両者では当然、音運びの支点・力点・作用点が違うが、ときおりそれが一致したりもする。その付かず離れずの綾がドビュッシーの肝だ。この点で素晴らしい演奏を聴かせてくれるピアニストは、それほど多くない。ペレスはその数少ないうちのひとり。イメージだけの茫洋とした演奏とは一線を画している。
 たったひとり、こういう音楽家に出会うだけで、音楽祭の経験はたちまち奥行きを増す。演奏会場に、刻々と形を変える音が飛び交ったあの時間を、しばらくは反芻していたい。

〔155▼ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2016▼2016年5月3日(火・祝)17:00▼東京国際フォーラム ホールD7〕