出演者インタビュー

ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2024に出演するアーティストたちに、音楽評論家の柴田克彦さんと音楽ライターの小室敬幸さんにインタビューいただきました。
それぞれの音楽性、人間性が垣間見える素敵なインタビューで、アーティストの演奏とラ・フォル・ジュルネへの理解が深まること間違いなし!

※インタビューは2024年ナントでのラ・フォル・ジュルネにて行われたものです。

第2弾
第1弾

アブデル・ラーマン・エル=バシャさん インタビュー

ナントのLFJではラヴェルのピアノ協奏曲を弾かれました。この曲はなかなか上手くいかないイメージがあるのですが、エル=バシャさんのソロは素晴らしかったですね。

この曲の難しい点はテクニックではなくコントラストです。書法も当時の慣例から外れていますし、第2楽章は弦楽器のように音を伸ばす部分がピアノではとても難しいですね。

ナントのLFJには長く出演されていますが、印象はいかがですか?

1995年が最初ですから30年近く関わっていますね。LFJは音楽の多様性を利用しながら民主化に貢献しています。コンサートの規則を全て覆し、限られた人たちのものだったクラシック音楽を、大衆に向けて多様な角度から訴えかけています。チケットさえあればロビー(キオスク)でのコンサートを聴けることや、子供が聴くことができる点でも、常識を変えた音楽祭だと思います。

先の公演では楽章ごとに拍手がありましたが これについてはどう思われますか?

個人的には抵抗はないですね。楽章間に拍手をしなくなったのは比較的最近のことで、そうした拍手は聴衆の評価の証だと思います。ただ私もショパンの全曲演奏を作曲順に行った際には、途中で拍手をしないようお願いしました。そのように沈黙が音楽の一部となるケースもありますから、まあプログラム次第ではないでしょうか。

今年のLFJの「オリジン」というテーマについてはどうお考えですか?

非常に幅広いテーマですね。それぞれの音楽に起点がありますし、クラシックの源も民族的な音楽や大衆的な歌だと思います。今回の1番の主旨はそうした土着の音楽をクラシックの中に昇華させることでしょう。

エル=バシャさんはレバノンのご出身ですが、ご自身の「オリジン」もやはりそこにありますか?

そうですね。16歳までいたレバノンにはとても愛着を感じていて、今もよく帰っています。そこは人が温かくて連帯感が強く、皆を熱烈歓迎します。私自身は、父が作曲家、母が歌手で、ラジオで音楽に親しむことができました。カラヤン/ベルリン・フィルなどの著名アーティストも来訪していましたので、音楽的な環境もありましたよ。

ところで見事なラヴェルを弾かれるエル=バシャさんが思う「フランスのエスプリ」とは?

まずはファンタジー、あとはユーモアでしょうか。実際に一番大切なのはハーモニー。そして調和のとれた表現様式だと思います。例えばショパンの音楽には、他のポーランドの音楽に比べて、軽さや洗練味があります。それはやはり彼が移り住んだフランスに拠るものでしょう。

文:柴田克彦

アンヌ・ケフェレックさん インタビュー

ケフェレックさんといえば、以前日本で弾かれたモーツァルトのピアノ協奏曲第27番が忘れられません。

27番の協奏曲は透明感のある曲なので、動きを強めると良くないですし、バランスのとれた演奏が求められます。モーツァルト自身が言っていたように、自由もあれば優雅さもあり、慎み深さもある。そうしたバランスですね。それに多くのピアニストが曲の透明度に恐れを感じていて、クリスタルなグラスに触れるかのように接しがちですが、私は「そこに入っているものを飲みなさい、それが人生なのだ」ということを伝えています。

今回のLFJナントで弾かれた第9番「ジュナミ」も素晴らしい演奏でした。ケフェレックさんのモーツァルト演奏には何か秘訣があるのでしょうか?

父もモーツァルトが好きで、私が12歳の時に足跡を辿る旅へ連れて行ってくれました。その時雪の中でモーツァルトの生家を見たのが強い印象として残っています。あと子供の時から「フィガロの結婚」や「魔笛」などのオペラに親しんでいたこと。彼のオペラは協奏曲に通じていますから、これも大きかったですね。そしてラッキーだったのが素晴らしい教師に巡り会えたこと。コルトー先生からモーツァルトの音調や響き、ペダルの使い方などを学びましたし、ブレンデル先生からも多くを学ぶことができました。

改めてモーツァルトの「ジュナミ」協奏曲のオリジンたるゆえんをお聞かせください。

この作品でモーツァルトが花開いたということです。彼自身も得るものがあったでしょうし、メッセージ性もある奇跡的な曲だと思います。

もう1つ、“Vive 1685!”と題したリサイタルの意図を教えてください。

1685年は3人の天才が生まれた祝福されるべき年です。その内ヘンデルとスカルラッティはイタリアに行って切磋琢磨しましたが、バッハは終生ドイツにいました。ですからまずは3人の美しい曲を出会わせてあげたかった。そしてこれらを中断せずに弾くことで瞑想の時間にしたいと考えました。

後半にベートーヴェンのソナタ第31番を置かれたのは?

まずベートーヴェンはヘンデルに敬意を抱いていました。また31番のソナタはベートーヴェンのポートレートです。1821年、彼は病気から回復してこれを作曲しました。楽譜には珍しく「苦痛の歌なので力なく」といった個人的な指示が色々書いてあり、やがて回復の希望が戻ってきます。ですからこの曲は、ハイリゲンシュタットの遺書と同様に、「あなたを幸せにしたかった。なので幸せになってほしい」というメッセージだと思っています。だから取り上げました。

文:柴田克彦

オリヴィエ・シャルリエさん インタビュー

シャルリエさんは、今回30回目を迎えたナントのLFJの多くに出演されていますが、 この音楽祭にどのようなイメージをお持ちですか? また30年の間に何か変化を感じますか?

30回の内8割位は出演していますので、もはや「ルネ・マルタン組」ですね(笑)。1つの場所で色々なコンサートが行われ、聴衆も好みの公演を自由に聴くことができるこの音楽祭は、クラシック・コンサートの形を変えましたし、演奏家にとっても、同じ日に異なるプログラムを弾くことで、音楽との関係性が変わりました。当初はこのスタイルに戸惑いがありましたが、今は皆がスムーズに心地よく楽しんでいます。クラシック以外の音楽との出会いもありますし、皆がオープンに楽しめるので、音楽の道を大衆に開いたといえるでしょう。

日本のLFJにも数多く出演されています。その印象に違いはありますか? また日本全体の印象は?

エスプリは同じだと思います。ただ段取りなどは日本の方が優れているかもしれません。近年日本のクラシックの水準は様々な面で向上し、音楽がより浸透していると思います。しかも聴衆の好奇心が旺盛で、ヨーロッパでは忘れられた作曲家の作品も演奏されています。そして何より皆さん鋭敏で礼儀正しい。ですから心地よく過ごすことができます。

今年のLFJの「オリジン」というテーマについてはどうお考えですか?

謎めいたテーマですが、ファンタジーに溢れていますね。音楽におけるオリジンは、人類の始まりにまで遡るもの。ですから、民族的な音楽やクラシックのオリジンとしてのバッハなど、演奏家によって様々な独創性を見出せると思います。

リサイタルでは、ラヴェルのヴァイオリン・ソナタとエネスクのソナタ第3番「ルーマニアの民族様式で」をプログラムミングされていますが、この選曲の意図は?

ラヴェルのソナタは、第2楽章の「ブルース」をはじめ、彼がアメリカで吸収したジャズの要素がオリジンになっています。またエネスクのソナタは、大衆の音楽を起点にしている点が重要だと考えました。

ところで、多くのコンクールでの実績や審査員歴のあるシャルリエさんは、コンクールの意義についてどうお考えですか?

コンクールは自分の名を世に知らせる手段です。また、色々なレパートリーや複雑なプログラムを練習することで、自分の力を試すことができますし、それがプロの音楽界に入る糸口にもなります。ただし、審査員の個性も様々なので、そこに真実というものはありません。なのであくまで若手にとってきっかけの1つですね。

文:柴田克彦

カンティクム・ノーヴムさん インタビュー

ナントでの公演には小学生ぐらいの子どもたちが集団で訪れていましたが、長い曲でも引き込まれたように集中して聴き入っていたのが印象的でした。

長い間受け継がれてきたメロディは、誰にとっても馴染みがあるものです。ですから年頃の子どもたちも楽器や素敵な響きに感銘を受けるのは自然なことで、とても素晴らしいことだと思います。

私たちが演奏するレパートリーは、混ざり合い、揺れ動くレパートリーなのです。使用される楽器、演奏されるメロディは、ヨーロッパのいたるところで見られるものであり、それはとても遠いところからやってきました。アジアやヨーロッパを旅し、文化や人々の出会いの中で融合してきたのです。私たちがこれらの楽器を受け継いでいくことで、このような人類の出会いが集約されていくのだと思います。だからこそ年齢を問わず、多くの人にとって馴染みのある音に聞こえるのでしょう。

楽器ごとに調律は様々ですし、叩いたり弾いたりと演奏方法も多様ですが、それらの楽器はいずれもシルクロードの中継地であるインドのラジャスタンを通って来ており、アジアを横断してヨーロッパに到達しています。ですから史実では実際に起こらなかったことだとしても、異なる文化が混ざりあって人々がお互いに話し合っていた可能性を想像するのは簡単なのです。

実際に残されているメロディと歌詞をもとに演奏されているとのことですが、それをアンサンブルとして演奏するときに大事にされていることはありますか?

アンサンブルでは文化の出会いによって何がもたらされるかということに、いつも関心があります。それによって私たちが物語を語ることを可能にするだけでなく、私たちが集まり、出会い続けることで未来への異なる展望を与えてくれるのです。

具体例をあげましょう。2022年にフランスで録音した私たちの最新アルバム『SHIRUKU シルクロードで結ばれた西洋と東洋の音楽』は、尺八の小濱明人、津軽三味線の小山豊、二十五絃筝の山本亜美と一緒につくり、日本の民謡や雅楽も演奏しました。歴史的な事実として私たちと彼らの楽器は混ざり合わなかったとしても、日本が西洋や西欧、地中海と出会っていたとしたら? そんな想像をし続けてきました。実際、一緒に演奏してみると、私たちは自分たちの歴史と共通の記憶を作ることができると感じました。

日本にもいらしたことがあるんですよね。その時の印象はどうでしたか?

2018年と2019年、東京のラ・フォル・ジュルネに出演させていただきましたし、2018年は東京のあと、「ヴィア・エテルナ奈良〜永遠の道」にも出ましたね。実は私たちのアンサンブルは1996年に結成しましたが、ここまで遠くに旅するのは初めてのことだったんです。

私はあなた方の文化の繊細さが大好きです。遠くから来た文化を歓迎する優しさが大好きです。奈良のお寺で歌ったり、日本を訪れて鎌倉に行ったりしたことは、私の人生にとって大きな意味を持つようになりました。5年ぶりに戻ってこられることが出来て嬉しいです。聴衆の皆さんは好奇心旺盛で、しっかりと耳を傾けてくださるので優しさに溢れていると感じました。

今回の来日では先ほどお話しいただいた〈“La Route de la Soie”~シルクロード~〉に加え、2つのプログラムが予定されています。〈Afsaneh アフサネー~伝説~〉は「メソポタミアで生まれ、アラブ・アンダルシア音楽を象徴する楽器となったウードの旅を音楽で辿るプログラム」だそうですね。

私たちの仲間のひとりであるウード奏者のフィリップ・ロシェが数年前に大病を患ってしまい、やむなく別の奏者に代わったのですが、その奏者も都合がつかないことがあり、ウード奏者が3人目に……ということがありました。ウードというのはアンサンブルのなかでも1台ということが多いと思うのですが、フィリップも元気になった今、3人のウード奏者が集まれるようになったのです。そこでウードを中心とするプログラムをつくることにしました。

この楽器にまつわる伝説的な人物といえば、ズィリャブです。8世紀にアラブ人がスペインと南フランスに侵攻したカール・マルテルの時代に生きたクルド・ペルシャの音楽家で、アンダルシアにウードを広めた人物だとされています。

アンダルシアということは、それがスペイン発祥だとされるギターの先祖になったわけですね。歌われているのはどんな言語なのでしょう?

アラブ語やトルコ語、南スペインのアンダルシアの方の言葉もあります。残されているメロディと歌詞をもとに、アンサンブルで集まってピースの組み合わせ方を考えながら、自分たちで構造をつくっていくんです。各パートについては即興が多いのですが、何を止めて何を演奏するのか、奏者ひとりひとりが自発的に考えてゆきます。

少し専門的なことをいえば、私たちが演奏しているのはポリフォニーなハーモニーの音楽ではないのです。旋法(モード)による音楽なので楽器は水平的に絡み合い、楽譜に束縛されることは全くありません。即興によるバリエーション(変奏)なのです。

皆さんが主に演奏しているのは、クラシック音楽として演奏されることの多いバロック時代よりも古いのですが、実は日本の若い人たちも気に入るはずだと思っています。何故なら、ゲームやアニメの音楽を通して古楽器や民族的な楽器の音色を耳にしているからです。

フランスでも多くの若者がゲームをしたり、漫画を読んだりしています。フランスは若者向けの漫画の販売数が日本に次いで2位ですからね。さっきの子どもたちの話だけでなく、普段からカンティクム・ノーヴムのコンサートには若い人たちが来てくれます。そして中世のゲームと共通点を見出したり結びつけたりして、彼らが好きなメロディ、親しみやすいメロディ、楽しめるメロディを見つけているのです。とても面白いですよ。

日本でカンティクム・ノーヴムは「地中海沿岸の伝統楽器アンサンブル」と紹介されているのですが、ご自身でグループの説明をするなら何と呼びますか?

「異文化間と多様性の音楽家集団」だと考えています。

文:小室敬幸

林英哲さん インタビュー

ナントでは満員のオーディエンスが、次々と立ち上がってスタンディングオベーションになっていった光景が忘れられません。

ありがとうございます。コロナがありましたのでナントにうかがったのは久々でした。でももう5回目ですか。ラ・フォル・ジュルネは色んなミュージシャンが出演していますけど、やっぱりベースはクラシック音楽ですからね。そうではない我々を何回も呼んでいただいて、本当に有り難い限りです。

テーマが毎年変わるので、それに合わせて毎回、自分たちの手持ちのなかからプログラムをつくるのですが、今年は「ORIGINES(オリジン) ――すべてはここからはじまった」がテーマと聞いて、ナントを初めて訪れた時にもやった石井眞木さんの《モノクローム》という締太鼓の演奏を中心に構成された曲をまず選びました。

林さんが1976年の世界初演に携わった作品ですよね。

僕にとってはまさに原点になった作品です。48年前、こういう音楽が世の中に登場することが当時としては本当に画期的で。でもだからこそコンサートで取り上げても成功するかどうか、やってみない限り分からない状況でした。

しかもオーケストラが加わった《モノプリズム》を、1973年から小澤征爾さんが監督に就任していたボストン交響楽団とやることが決まったんですが(初演は1976年)、当時のグループは他のメンバーが譜面を読めなかったので、音楽的なリーダーだった僕が引っ張らなきゃいけない。僕は23歳で、当時は日本の太鼓を一生の仕事にしようだなんて全く思ってなくて……。でも素晴らしい作品を書いてくれた石井さんに恥をかかせるわけにはいかないし、もちろん小澤さんの顔に泥をぬるわけにもいかない。だから腹をくくってプロとしてやっていくことを決めたんです。

まさに林さんにとっての「ORIGINES」なのですね……。

はい、だから今年取り上げることにしました。半世紀近く前の作品でありますが、これぞマスターピース。日本の太鼓が世界への突破口を初めてひらいた曲であり、同時に最高傑作でもあるんです。フィルハーモニー・ド・パリで演奏した時には指揮者のシャルル・デュトワさんが聴きに来てくれて、「太鼓という民族的な楽器でこれほど音楽的な表現ができるとは夢にも思わなかった!」とおっしゃっていただいたことも忘れられません。

それがまず決まり、じゃあその前に別の曲を……ということで選んだのが、僕が70歳になった時にサントリーホールでやった記念公演で披露した《序》というオーバーチュア(序曲)です。お能や歌舞伎にある「三番叟」をモチーフとして取り入れた作品で、足拍子をずっと踏んで鈴だけを鳴らします。

心地よい緊張感が続くので、聴いているだけで《モノクローム》を聴く準備が整ったような気がしました。

まさにそのようにしたかったんです。《モノクローム》の次にやる《宴》という曲はタイトルの通り、セレブレーション(祝典)ですから華やかに盛り上げる勢いをお楽しみいただければ。そして最後の《太鼓打つ子ら》は私が太鼓を叩きながら歌うのですが、これはもともと八丈島の太鼓囃子で歌われる曲なんです。原曲はひょうきんで軽い曲なのですが、それをスローバラードにして歌詞を全部書き換えました。

実は僕たちが使っている太鼓は全部、石川県でつくられたものなんです。能登半島一帯から石川県全体が太鼓の盛んな地域なのですね。今年の1月1日に震災で亡くなられた方へ鎮魂の意味も込めて、ナントではフランス語で説明してもらってから演奏しました。ナントに行くたびにお世話になって、とても仲良くなった舞台監督のおじさんが「泣いたよ。あんなにお前が歌えると思わなかった!」と言ってくれたのは嬉しかったですね。

ラ・フォル・ジュルネ以外の海外公演でも、テキストではなく喋って説明をされているのですか?

下手なんですけど、現地語で解説するようにしているんですよ。もちろん話せるわけではなく、訳してもらったものを全部カタカナで書いてもらっているだけなんですが。例えばポール・マッカトニーとかローリング・ストーンズのミック・ジャガーとか、大物が東京ドームとかでライヴをやるとMCで大体日本語で喋りかけますよね。「トウキョウ、アイシテマスー」とか「コンバンハ」とかね。あれで一挙にお客さんは親近感を持つじゃないですか。ナントでは私の代わりに通訳の方がアナウンスしてくれるので、《太鼓打つ子ら》の歌詞はシャルル・アズナブールのように訳してくれ!とお願いしました(笑)。

海外といえば、今ちょうど早稲田大学のオーケストラがドイツとオーストリアでツアーをしているんですよ(※インタビューは2024年3月上旬)。それで先ほども話が挙がった石井眞木さんの《モノプリズム》をやっているのですが……。

2018年にベルリンのフィルハーモニーで早稲田交響楽団と林さんたちが共演された映像が、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の公式YouTubeチャンネルにあがっていますね。

そうなんですけど、遂に今年は「英哲さんは大変でしょうから、若い人たちだけでやります」って出演を断られてしまったんです(笑)。つい先日のドイツ公演も大評判だったと連絡をもらいました。半世紀かけて僕らが築いてきたものを、若い彼らがレベルを落とさず、世界で通用する音楽として受け継いでくれたんですね。本当に感慨深いです。

太鼓の曲って、結局は譜面だけをみても良い作品かどうか分からないんですよ。《モノクローム》は傑作ですが、立ち振る舞いや作法のようなことも含めて《モノクローム》になるんです。それは聴いていただく場合も一緒で、今ならスマートフォンで動画をすぐにみれてしまいますが、会場に来ていただかないと伝わらない音楽なんです。空気の振動や、他のお客さんから醸し出される緊張感や終演後のリアクションも含めて聴いていただきたいのです。インターネットで表層的な要素だけを切り取られても、我々の音楽は意味がないんです。だから是非会場に来てください。

文:小室敬幸
*インタビュー:2024年3月 東京にて

ヴァランティーヌ・ミショーさん、ガブリエル・ミショーさん インタビュー

ヴァランティーヌさんとガブリエルさんは姉弟とのことですが、他にもご兄弟がいらっしゃるそうですね。

ヴァランティーヌ:そうなんです。長女の私が一番上。下には3人の弟たちがいて、ガブリエルが末っ子なんです。長男エマニュエルも学際的なアーティスト(performer, videographer, stage designer, writer and music producer)をしています。

皆が芸術関係に進まれたのは、ご両親の影響があるのですか?

ガブリエル:私たちの父(ジャン=マリー・ミショー)はイラストレーターで、母もグラフィック関係の仕事をしています。

ヴァランティーヌ:実は父がアマチュアでフルートをやっているので、私に音楽をやるように薦めたんですよ。楽器はフルートではなくサクソフォーンになりましたけどね(笑)。影響という意味では両親がヴィジュアルアート関係だったので、聴覚だけでなく視覚情報も大事にしているのだと思います。コスチュームへのこだわりもそのひとつですし、実は協奏曲の本番でつけた仮面は、弟のひとりが作ったものなんです。

ご家族の関係性が素敵ですね!

ヴァランティーヌ:家族からの影響は他にもありますよ。実はうちの両親はマーシャルアーツ(合気道)を教えることもしていて、それが舞台上での所作に繋がっているのだと思います。だから家庭内で日本の話題は多いですし、黒澤明をはじめとする日本映画を観て育ったんです。それこそ先ほどご紹介した仮面も、私は勝手に歌舞伎(の隈取)のようなものだと考えています。

東京でも披露されるスウェーデンの作曲家ヒルボリによる協奏曲《ピーコック・テールズ(孔雀物語)》で、その仮面をつけ、合気道から影響を受けたという所作を披露されるわけですが、この曲はもともとクラリネット協奏曲なんですね。

ヴァランティーヌ:ご存知のようにクラシックの世界でサクソフォーンはまだまだ珍しい楽器で、レパートリーは限られています。だから普段から新しい可能性を探しているのです。この曲と出会ったのはパンデミックの最中で、マルティン・フレストという偉大なクラリネット奏者が演奏している動画を通してでした。仮面やちょっとした振付があり、音楽そのものもすぐに心に響いたので、作曲者のアンデシュ・ヒルボリに電話してサクソフォーンのバージョンを作ってくれないでしょうかと相談したんです。

その結果、生まれたサクソフォーン版はなんと2022年9月7日にルツェルン音楽祭にて、ウィーンフィルと共演によって初演されたんですね!

ヴァランティーヌ:自分でも驚きました。ウィーンフィルにソリストとしてサクソフォーン奏者が共演するのは初めてだったそうです。指揮はエサ=ペッカ・サロネンだったのですが、彼が普段からヒルボリ作品を演奏しているからでしょうね。初演の場が決まり、私はクラリネット版のフロストと異なる独自の演出をしたいと考えました。そこでテレサ・ローテンベルク(Teresa Rotemberg)という女性の振付家に依頼して、音楽と有機的に融合するような身振りを探していったのです。そうなると演奏中に楽譜は見られませんから暗譜も必要ですし、演奏しながらの身振りは息があがってしまい、まるでスポーツのような作品になってしまいました。

その身振りによって心地よい緊張感が生まれるだけでなく、演劇性が加わって、我々オーディエンスの想像力がより刺激されている感覚になりました。

初演には作曲者本人も来てくれて、とても喜んでくれました。とりわけ曲の終盤ではサクソフォーンのパワフルさが活きたのが良かったのでしょう。本当に嬉しかったですね。

ガブリエル:(ナントでの)シンフォニア・ヴァルソヴィアとの公演には、僕も打楽器奏者としてオーケストラに乗っていたのですが、なかで演奏するのもとても興味深い音楽ですね。姉の魅力が伝わる作品だと改めて思いました。

一方、姉弟によるサクソフォーンと打楽器のコンサートは『天国の鳥たち』と題されています。どんな内容なのでしょう?

ガブリエル:知り合いの作曲家に新作も依頼しましたが、プログラムのなかにはアストル・ピアソラの歌曲〈失われた小鳥たち Los Pajaros Perdidos〉やザ・ビートルズの〈ブラックバード〉といった様々なジャンルを含んでおり、「鳥」というテーマはありますが変化のあるプログラムになっています。

ガブリエルさんはYouTubeチャンネルでは主にマリンバを駆使して現代音楽の切れ味鋭いパフォーマンスをいくつも上げていらっしゃいますが、同時にヴィブラフォンでジャズも演奏されるそうですね。

ガブリエル:(ジャズの名門として知られる)バークリー音楽大学にも合格したのですが、そちらには行きませんでした。でも仲間たちとジャズは沢山演奏してきましたよ。あくまで自分はクラシックや現代音楽を中心に弾いていますが、色んなところにジャズと繋がるブリッジもありますからね。今回はジャズ・スタンダードの〈スカイラーク〉(ホーギー・カーマイケル作曲)も演奏する予定です。

最後に、日本で楽しみにしていることはありますか?

ガブリエル:僕はまだ日本に行ったことがないので、嬉しくて嬉しくて。もちろん僕たちの音楽をみんなと分かち合えることを楽しみにしています。

ヴァランティーヌ:私は東京と京都に一度だけ訪れたことがあるのですが、また行けるのが嬉しいです。その時にも着物を買ったのですが、今回も買いにいける時間があればなあ……。それに日本はサクソフォーンもマリンバも盛んな国ですよね。マリンバという楽器は安倍圭子さんの存在なしには考えられないですし。そうそう、私のソプラノ・サクソフォーンは日本の素晴らしいブランドであるヤナギサワ製なんです。なのでお店を見に行きたいですね。

文:小室敬幸

エリプソス四重奏団 インタビュー

ナントのコンサートでは、子どもたちからクラシックのマニアまで、どんな人でも熱狂させてしまうパフォーマンスに圧倒されました!

ジュリアン・ブレシェ:ありがとうございます。それはまさに私たちの選択なのです。出来るだけ多くの人たち、出来るだけ幅広い観客に語りかけたいと願っています。編曲はバリトン・サックスのニコラが担当しているのですが、常に観客や音楽祭の求めることに関連させたプログラムを組もうとしているのです。

ポール=ファティ・ラコンブ:そうです、私たちはいつも聴衆の立場に立って考えます。それが第一なんです!

ニコラ・エルエ:ラ・フォル・ジュルネのお陰で、私たちは様々なオーディエンスの前で演奏することができました。劇場、会議室、電車やトラム(路面電車)、中学校、託児所や保育園なんかでもね(笑)。どんな場所であろうと聴いてくださる方々が笑顔になれば、私たちの音楽がユニバーサルなものであると気付けます。

ポール=ファティ:サックスという楽器には人々を驚かせるポテンシャルがあり、私自身も驚きを与えるのが好きなのです。だから皆さまに広く知られている作品も、知られていない作品も取り上げているのです。クラシックの有名曲と一緒に、私たちのために書かれたような新作まで演奏することで、いつも変化をつけるようにしています。

東京でもエリプソス四重奏団のために作曲されたワックスマンの《アルテミスへの夢》が演奏されます。このピアノとカルテットのための作品は、どのように生まれたのでしょう?

シルヴァン・ジャリ:私たちのカルテットは2004年に結成したので、今年20周年を迎えました。そこでファビアン・ワックスマンにサクソフォーン四重奏と管弦楽のための協奏曲を依頼したんです。彼はピアニストでもあり、まずはオーケストラの部分をピアノで作曲するので、カルテットとピアノのバージョンを先に書くよと提案してくれたのです。ちなみに来年10月にはオーケストラ版をアメリカで初演することになっています。

アルテミスといえばギリシア神話の「月の女神」です。アメリカがいま進めている月面着陸計画も「アルテミス計画」という名前でしたよね。

ポール=ファティ:宇宙というテーマは、あらゆる国々、すべての人々に語りかけるものです。宇宙への冒険の目的のひとつは、生命の起源を探ることですから、多くの人に興味をもたれるのかもしれません。なので《アルテミスへの夢》も、なるべくコンサートで取り上げるようにしているのです。

《アルテミスへの夢》のなかにもありましたが、ガーシュウィンの《前奏曲》にもバーンスタインの《ウエスト・サイド・ストーリー》にもジャズ的な要素が出てきます。皆さんの演奏はクラシック的なサックスと、ジャズ的なサックスの音色や表現がシームレスに繋がっていて、驚かされました!

シルヴァン:私が考えるにクラシックとジャズでは、何よりもまずフレーズの運び方、アクセントの付け方、歌い方が異なっていると思います。口や喉の中を微妙に変えることで、その違いが生まれますが、最終的にスタイルを決めるのは音色ではなく、歌い方だと思うのです。同じ声色でも違う言語を話すようなものですから。音色のアクセントを使い分けるのです。

ニコラ:それによってグリーグ《ペール・ギュント》の〈朝〉を演奏するときは柔らかく、ジョージ・マイケルをやるときにはロック調に聴こえるようになるのだと思います。

ポール=ファティ:(《ケアレス・ウィスパー》のイントロを歌う)

ジュリアン:サックスはどんな国の音楽にも溶け込める、まさにカメレオンのような楽器なのです!

サックス四重奏にとっては古典にあたるグラズノフの四重奏曲から、新しい《アルテミスへの夢》まで。そしてニコラさんの編曲によって、見事にサックスらしい音楽へと翻案された有名なクラシック音楽の数々……。皆さんの公演を東京でまた聴けるのが楽しみです! 最後に、皆さんひとりひとりがどんな方なのか他己紹介していただけませんか?

[ニコラが語るシルヴァン(テナー)]
ニコラ:彼と一緒に演奏するのが、私は大好きです。シルヴァンは私にとって音楽の双子のようなもので、彼が頭の中に入ってくるように感じることがあるほど繋がっている気がします。時おり同じ間違いを一緒にやらかすぐらい……。

ジュリアン:確かにあるね(笑)

ニコラ:そして演奏はとても真面目なのですが、ちょっと空気の読めないところもあります(笑)。愛すべき仲間です!

一同:(爆笑)

[シルヴァンが語るポール=ファティ(ソプラノ)]
シルヴァン:ポール=ファティはとても外向的で、とてもたくさん喋ります。だから四重奏のなかではソプラノ・サックスを吹いているのでしょうね(笑)。私たちのカルテットが成長したり、新しい関係を発展させてコラボレーションを実現したりする上で、彼の資質は欠かせません。カルテットのために自分自身を捧げることも厭わないのですから。

[ポール=ファティが語るジュリアン(アルト)]
ポール=ファティ:私はジュリアンについて。私の知る限り、彼よりせっかちな男はいません(笑)。でもその分、物事を先読みしていて、演奏中も光の速さでコミュニケーションがとれるので、私の意図を汲み取ってその準備をしてくれるんです。その時ほど、彼と仕事をしていて良かったと思うことはありません。いつもジュリアンを頼りにしています。

[ジュリアンが語るニコラ(バリトン)]
ジュリアン:既に話したように、ニコラは私たちひとりひとりの個性を活かした素晴らしいアレンジをしてくれる編曲家です。奏者としてはバリトン・サックスを吹くので、カルテットの土台となる低音を担ってくれています。にもかかわらず、何をしでかすか分からない遊び心と茶目っ気も彼は持っているんですよ(笑)。そのことに私は本当に感謝しています。とにかく彼に限らず、メンバー全員が本物の兄弟のような関係で仲が良いんです。自分の家族よりも頻繁に彼らと電話しているぐらいですよ!

文:小室敬幸

ナタナエル・グーアンさん インタビュー

グーアンさんは、フランスに生まれながら、アメリカのジュリアード音楽院で学ばれていますが、まずはその経緯を教えて頂けますか?

ほとんどの勉強はトゥールーズで行い、パリ音楽院に入った時、ジュリアードに行く奨学金を得られたので、そちらでも学びました。いわばカリキュラムの一環なのですが、それが幅広い音楽性を培ってくれたと思っています。

ナントのLFJにはどの位出演されていますか?

10回以上出ていて、この10年は続けて出演しています。LFJは独創的な音楽祭。色々なテーマに沿ったプログラムを組むことで演奏家として経験を積めますし、お客さんの立場でも、様々な音楽を聴いて自分を育むことができます。

日本のLFJに関してはいかがでしょうか?

少なくとも2回は出演していますが、道理と熱狂があり、興味深く耳を傾ける聴衆がいて、とても素晴らしいと思います。また日本は、私が最も多く訪れている外国なのですが、コロナ禍で行けなくなったのは残念でした。それまでは毎年のように行っていて、音楽への愛情や知性溢れる人々と出会い、毎回帰るのが嫌になるほどでした。

今年のLFJの「オリジン」というテーマについてはどう思われますか?

非常に面白いテーマですね。幅広い音楽を網羅していて、一人の作曲家のエッセンスを聴くこともできますし、民族音楽や異国の音楽を聴いて発見を得る機会にもなります。

グーアンさんが取り上げた「展覧会の絵」のオリジンたるゆえんはどこでしょう?

これは絵画を想起させる音楽、つまり着想源を前面に出した、絵画への目配せがある作品です。そうした“視覚的なオリジン”ですね。

この曲自体の魅力は?

多様性と洗練味でしょうか。10枚のカンバスにバラエティに富んだ絵が描かれている万華鏡のような音楽で、特にオリジナル版は、ムソルグスキーのインスピレーションや民族的な知識にピアノでアクセスできる点が魅力です。

弦楽四重奏団とのミヨーの「世界の創造」についてはいかがでしょう?

実は最近、ミヨーが私の母方の血縁であることを知りました。それはともかく、ブラジルの民族音楽やフーガに、カヴォットなどの踊りの音楽を含んだ、非常に独創的な作品です。

最後に、グーアンさんが目指すピアニスト像、音楽家像をお聞かせください。

構成が確かなインテリジェンスのあるピアニストになるのが第一ですが、マルチなレパートリーを持ちたい、ヴァイオリンを学んでもいたので弦楽との活動や室内楽にも取り組みたい、さらには作曲もしたいと思っています。

文:柴田克彦

マリー=アンジュ・グッチさん インタビュー

ナントのリサイタルではシューマンの「クライスレリアーナ」とラヴェルの「夜のガスパール」という若干意外な組み合わせのプログラムを披露されましたが、素晴らしい演奏で、特に場面の変化が際立っていたように感じました。

シューマンはホフマン、ラヴェルはベルトランの詩に着想を得ていますので、いずれも詩的な根拠があり、それを絵画的な方向に転換させました。つまり共に作家に影響を受けた作品です。ただ、シューマンの作品には構築性や持続性がありますが、ラヴェルの作品は想像や印象が音楽化されていてタッチに管弦楽的なイメージが必要といった違いはありますね。

別の公演で弾かれたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番に関してはいかがでしょうか?

ラフマニノフにとって、ロシアで学んだオーソドックスな音楽と次の時代の新しい音楽を繋ぐ鎹(かすがい)になる作品であり、聴く方全てに耳や心を開かせる、ひいては音楽の起源を思い起こさせるような作品だと思います。

LFJの印象は?

ナントのLFJには6~7回出演していますが、非常にエモーショナルでエネルギーに満ちた音楽祭ですから、毎回感激し、発見があります。

今回のテーマ「オリジン」につてはどう思われますか?

あらゆる領域に開けているテーマですよね。私たち自身にも音楽祭にもオリジンがありますし、音楽にも形式や楽器のオリジンがある。そういったものを全部集められます。

グッチさんご自身のオリジンは、出身地のアルバニアにあると思われますか?

はい。私は12歳までアルバニアにいて、それからフランスに移りましたが、やはりオリジンは母国にあると思います。音楽家にとってそれは演奏に反映されるものであり、人生の中でさらに広がっていくもの。私もしばしばアルバニアに戻ってリソースを得ています。

グッチさんは、ソルボンヌ大学を出て7ヶ国語を話し、指揮も勉強し、オンド・マルトノも弾かれるとのことですが、今後目指す方向性は?

もしかすると指揮をするかもしれませんが、まずはできる限り長く音楽活動をしたいですね。ただこれは時と共に変わって行くもの。建築や言語学にも興味がありますし、その都度新たな地平を開いていきたいと思っています。

最後に日本の聴衆に向けたメッセージを。

まずはLFJのユニークな時間を楽しんで欲しい。コンサートいうのは大切な時間ですし、全く同じ場所で同じ人がそれを体験することは2度とありません。音楽はバリヤーを超えられるものなので、開かれた精神で好奇心を持って来てください。

文:柴田克彦

リヤ・ペトロヴァさん インタビュー

ナントではグラズノフの協奏曲の素晴らしい演奏を聴かせてくださいました。美しい音色が忘れられないのですが、大事にされていることはありますか?

ありがとうございます。でも美しさを追求しているのではなく、作品が求めているもの次第なのです。グラズノフの第1楽章で、やっぱり大事なのはメランコリー(憂鬱さ)ですが、第3楽章になると田舎で楽しく踊られるダンスという性格も出てきます。そうした変化を細かく読み取って、作曲家の心の状態と繋がることを大事にしているんです。そして、速くて難しい部分でも技巧をひけらかすのではなく、オーケストラと調和することを目指しました。

メランコリックでロマンティックなグラズノフらしさは一貫しつつ、曲想に応じて変幻自在なのでとても引き込まれてしまいました! ペトロヴァさんは、ブルガリア出身ですが現在はパリ在住。ヴァイオリンもオーギュスタン・デュメイ、ルノー・カピュソンといったフランスの伝統を引き継ぐ先生に習われたんですね。

もうひとりベルリンで師事したアンティエ・ヴァイトハースというドイツ系の先生からの影響も大きいと思います。独自のカラー(色)を持つ大事さを3人から学びました。

2016年にカール・ニールセン国際コンクールに優勝されてから、世界を飛び回っているそうですが、それによって自分自身に変化はありましたか?

生まれ育った場所と異なる文化をもつ国や地域で演奏することは、自分の精神を育んでくれます。沢山の人たちと交流するなかで様々な時代や国のこと、あるいは固有の文化や慣例に触れることが、先ほど言った作曲家の心の状態と繋がることにも役立つのです。

そのなかでも特に印象に残っている国や文化はありますか?

やっぱり日本もそのひとつです。私の生まれ故郷であるブルガリアのソフィア・ゾリステンとのツアーで2019年に来日しました。東京・札幌・大阪といった大都市だけでなく、小さな都市もまわりましたが、どこでも変わらず出会った人々が優しかったことは忘れられません。

その2019年と異なり、今回のラ・フォル・ジュルネでは日本のオーケストラである東京フィルハーモニー交響楽団と指揮者・三ツ橋敬子さんとの共演が予定されています。

50年前なら違ったのかもしれませんが、現在はグローバリゼーションが進んだ時代です。それに音楽は常にユニバーサルなもので、音楽を通してお互いを理解できるのですから、目指している本質も同じものだと思います。確かにオーケストラには様々な流派があって、フランスとドイツでは明らかにキャラクターは違いますよ。でも、オーケストラを構成しているメンバーをみてみると、明らかに国際的になっていますよね? フランスのオーケストラや音楽院にも、日本人が在籍しているのと同じことです。

その東京フィルとの共演では、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏されます。ペトロヴァさんがCDのレコーディングもされている作品です。

明るく開けてはいるけれど、心の中を沈み込む深淵なエスプリ(精神)があって……。ヴァイオリニストにとってはバイブル(聖書)のような存在です。至るところに難しさがあります。でもテクニカルな面にスポットライトがあたってはいけません。あくまでスポットライトをあびるのは音楽そのものでなければ! そのためには色んなことに価値をつけていく必要があるのですが、それが難しい。内面は磨きますが、自分のエゴをだしてはいけないのです。それこそソリストがオーケストラに支えてもらうのではなく、室内楽のようにありたいですね。

室内楽といえば、ピアニストのナタナエル・グーアンとの二重奏でドビュッシーとフランクのソナタも予定されています。こちらも楽しみです!

室内楽でも大事なことは一緒で、音楽そのものにスポットをあてて、作曲家の心を意識しながら音楽を再現していこうと思っています。また、他の奏者や聴衆の皆さまが私の演奏をどう聴いているか? その意見に耳を傾け続けられるようでいたいですね。ステージに立ったときは常に誠実でありたいですから……。

文:小室敬幸