テーマは「Beethoven ――ベートーヴェン」

ルネ・マルタンからのメッセージ

4年ぶりの開催となる2023年のテーマは、やっぱり 「Beethoven ― ベートーヴェン」!
ベートーヴェンという大作曲家の魅力をぎゅっと詰め込んだ、特別な3日間をご用意します。交響曲やピアノ協奏曲、ピアノ三重奏曲、ピアノ・ソナタなど傑作の数々をはじめ、ベートーヴェンへのオマージュ作品など、ラ・フォル・ジュルネならではの独創的なプログラムの数々で、3年越しの生誕250周年を盛大に祝います。凝縮された“ベートーヴェン三昧”の3日間をお楽しみください。

ベートーヴェンの作品はヒューマニズムにあふれ、人類愛と思いやりを今もなお人々の心に届けるという意味においても、音楽史上唯一無二の存在です。ベートーヴェン自身、彼の音楽の目指すところを、このように記していたではありませんか。

「心より出で、願わくば再び心に至らんことを」 -「ミサ・ソレムニス」の楽譜に添えられた言葉

ルネ・マルタン
LFJアーティスティック・ディレクター

ベートーヴェンによる作品

  • 交響曲 (3番「英雄」、5番「運命」、6番「田園」、7番、9番「合唱付き」)
  • 協奏曲 (ピアノ協奏曲第1〜5番、 ヴァイオリン協奏曲、三重協奏曲)
  • ピアノ・ソナタ (8番「悲愴」、10番、13番、14番 「月光」、15番 「田園」、17番 「テンペスト」、 21番「ワルトシュタイン」、23番「熱情」 、29番「ハンマークラヴィーア」、30番、31番、32番)
  • ピアノ連弾作品(全曲)
  • ヴァイオリン・ソナタ (5番「春」、6番、7番、8番、9番「クロイツェル」)
  • チェロ・ソナタ、ピアノ三重奏曲、弦楽四重奏曲、七重奏曲など数々の室内楽曲
  • 弦楽三重奏曲 (全曲)
  • 数々の歌曲

19世紀から21世紀のベートーヴェン作品編曲
およびオマージュ作品

ベートーヴェンによる自作の編曲

  • ピアノ協奏曲 第4番ト長調 op.58 (ピアノと弦楽五重奏版)

後世の音楽家たちによる編曲作品&オマージュ作品

  • ベートーヴェン(ツェルニー編):交響曲第6番 へ長調 op.68「田園」(4手ピアノ版)
  • ベートーヴェン(シュルホフ編):ロンド・ア・カプリッチョ「なくした小銭への怒り」op.129(管弦楽版)
  • ベートーヴェン(福間洸太朗編):3台ピアノ 12手のための 「トルコ行進曲」
  • ベートーヴェン(カーナウ編):トルコ行進曲
  • デ・メイ:エクストリーム・ベートーヴェン 〜ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの主題による変容〜
  • 三浦秀秋:ベートーヴェン・エクスプレス[新編曲・初演]
  • 宮川彬良:シンフォニック・マンボNo.5
  • クライスラー:ベートーヴェンの主題によるロンディーノ
  • ビショフ:ベートーヴェンとシューベルトへのオマージュ〜ピアノのためのディアベリ変奏曲
  • キルヒナー=エッセール:2台ピアノ・8手のための《ベートーヴェン交響曲ダイジェスト》
  • アダムズ/アントンセン:2台ピアノのための《ロール・オーヴァー・ベートーヴェン》

LFJスペシャル・プロジェクト

  • 6人ピアニストの豪華共演《現代に生きるベートーヴェン・ア・ラ・カルト》
  • 井上道義のトーク付き「運命」公演《ミチヨシはかくベートーヴェンの運命の扉を叩く》
  • 渋さ知らズオーケストラ(脱ジャンルパフォーマンス集団)や、オルケスタ・ナッジ!ナッジ!(打楽器アンサンブル) によるベートーヴェンへのオマージュ公演
  • ヨアキム・ホースレイ・クインテット(クラシック&ラテン音楽のフュージョン・ピアノ)による《ハバナのベートーヴェン》
  • パスカル・アモワイエル(ピアノ)・加藤昌則(ピアノ)による《ベートーヴェン風即興サロン》
  • パスカル・アモワイエル(脚本・ピアノ・芝居)による《Looking for Beethoven(ベートーヴェンを探して)》
  • エリプソス四重奏団(サクソフォーン四重奏)によるサックスアンサンブル版ベートーヴェン名曲選

ベートーヴェン年表

ベートーヴェンの主な作曲時期・出来事 主な世界史・日本史
1770年
12月16日ごろ
(0歳)

ドイツの西に位置するボンに生まれる。 父は宮廷に仕えるテノール歌手でアルコール依存症であったヨーハン・ヴァン・ベートーヴェン、母は裕福とはいえない一家の精神的な支えとなったマリア・マグダレーナであった。

アメリカでボストン虐殺事件が起きる。

1774年
(4歳)

父よりピアノを教わり始める。

前野良沢・杉田玄白らが日本最初の翻訳解剖書である『解体新書』を刊行する。

1775年

アメリカ独立戦争が始まる。(〜1783)

1778年
(8歳)

ボンより程近いケルンで初めて演奏会を開いた。

第2回大陸会議でアメリカ独立宣言が採択される。

平賀源内がエレキテルを完成する。

1782年
(12歳)

パガニーニが生まれる。

クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェより正式な音楽教育を受ける。

1783年

パリ条約が結ばれ、イギリスがアメリカの独立を承認する。

日本では天明の飢饉が起こった。

1787年
(17歳)

ウィーン旅行に出かけ、モーツァルトと出会う。

7月17日
母であるマリア・マグダレーナが肺結核で亡くなる。 それからベートーヴェンは、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、アルコール依存症の父ヨーハンや幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごす。

アメリカ合衆国憲法が制定される。

徳川家斉のもと、白河藩主松平定信が寛政の改革を行う。

1789年

ワシントンがアメリカの初代大統領に就任する。

フランス革命が起こる。

1791年

ツェルニーが生まれる
モーツァルト死去

1792年
(22歳)

ボンを訪れたハイドンと出会い、それからウィーンに移り住みハイドンに教えを受ける。 ウィーンでの彼は、その抜きん出た才能をいかんなく発揮し、貴族社会に多くのパトロン、金銭的な支援者を見出していった。

12月 父ヨーハン亡くなる。

1793年

フランスでマリー・アントワネットが処刑される。

1794年
(24歳)

ピアノ・ソナタ第1番 ヘ短調 Op.2-1 を作曲。

1797年

シューベルトが生まれる。

1799年
(29歳)

ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 Op.13 「悲愴」を作曲。

オランダが東インド会社を解散。

1800年
(30歳)

交響曲第1番ハ長調 Op.21 を作曲。

1801年
(31歳)

ピアノ・ソナタ 嬰ハ短調 Op.27-2 「月光」を作曲。ピアノを教えていた伯爵令嬢(ジュリエッタ・グイチャルディ)に捧げた。

1802年
(32歳)

日ごとに悪化する難聴への絶望などを記した『ハイリゲンシュタットの遺書』を弟のヨハンと甥のカールに送る。

1804年
(34歳)

交響曲第3番変ホ長調 Op.55 「英雄」を作曲。 ナポレオンの偉業をきっかけとした交響曲「英雄」が完成。(この年ナポレオンが皇帝の座に就く) 当時の交響曲では考えられない50分近い長さであった。

ナポレオンが皇帝に即位し、フランス第一帝政が始まる。

1805年
(35歳)

ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 Op.57 「熱情」を作曲。 「熱情」はハンブルクの出版社が出版の際に名付けたもので、「交響曲第5番(運命)」で使われている「運命の動機」は「熱情」の第1楽章でも使われている。

1806年
(36歳)

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61 を作曲。 「ヴァイオリン協奏曲の王者」と呼ばれ、メンデルスゾーン・ブラームスの作品と共に「三大ヴァイオリン協奏曲」とも呼ばれる。

1808年
(38歳)

交響曲第5番ハ短調 Op.67 「運命」を作曲。 この頃のベートーヴェンの聴覚はかなり悪化しており、会話もままならぬ状態だったそう。

交響曲第6番ヘ長調 Op.68 「田園」を作曲。 ベートーヴェンによって標題がつけられた唯一の交響曲である。

1809年
(39歳)

ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 作品73「皇帝」を作曲。 「皇帝」という名称は出版社が付けたものであり、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」、グリーグの「ピアノ協奏曲」とともに「三大ピアノ協奏曲」と呼ばれている。

ハイドン死去。

1810年
(40歳)

バガテル「エリーゼのために」イ短調 WoO.59 を作曲。 ベートーヴェンの作品の中でも「最も知名度の高い作品」の一つとして挙げられている。

1812年
(42歳)

交響曲第7番イ長調 Op.92 を作曲。

交響曲第8番ヘ長調 Op.93 を作曲。

ナポレオンがロシア遠征を行うが、失敗に終わる。

アメリカ=イギリス(米英)戦争が始まる。(〜1814)

1814年

スティーブンソンが蒸気機関車を発明する。

ナポレオンが失脚し、ルイ18世が即位する。

1820年
(50歳)

ピアノ・ソナタ第30番ホ長調 Op.109を作曲。

1822年
(52歳)

ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 Op.110を作曲。

ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111を作曲。

伊能忠敬の『大日本沿海実測全図』が完成し、幕府に献上される。

1823年
(53歳)

ミサ・ソレムニス ニ長調 Op.123を作曲。

1824年
5月7日
(53歳)

交響曲第9番ニ短調 Op.125「合唱付き」を作曲。 交響曲で効果的に声楽を使った初めての作品であり、欧州連合では統一性を象徴するものとして採択されている。 「第2次世界大戦終戦後のバイロイト音楽祭」や「ベルリンの壁崩壊の記念コンサート」でも演奏された。

1826年
(56歳)

弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 Op.131を作曲。 ベートーヴェンが亡くなる前年の作品で、最晩年の傑作の一つとして知られている。 ベートーヴェンにとってこの作品は自信作だったようで、友人に「新しい作曲法だ、神に感謝しないと。以前に比べて、まだ創造力は衰えていないよ。」と語ったそう。 シューベルトもこの作品を聴いて、「この後でわれわれに何が書けるというのだ?」と述べたと伝えられている。

1827年
3月26日
17時45分
(56歳)

ベートーヴェン死去

1828年

シューベルト死去

1829年

葛飾北斎が『富嶽三十六景』を完成する。

ベートーヴェン、実はこんな人物

ベートーヴェンはウィーンに住んでいた35年間で実に79回も引越しをしていた。計算すると半年に一回以上のペースである。

ベートーヴェンはコーヒーを毎日飲んでおり、コーヒーの粒を必ず60粒数えて淹れる程のコーヒー好きだった。

1816年にメトロノームが発売されると、ベートーヴェンは直ぐに気に入り、楽譜にテンポ設定を書き入れるようになった。音楽家で最初にメトロノームを使用したのはベートーヴェンといわれている。

「エリーゼのために」の「エリーゼ」とはテレーゼという女性なのかエリザベートという女性なのか現在も判明には至っていない。

ベートーヴェンの葬儀には2万人にもなるウィーンの庶民達が彼の墓まで列を作り、彼を見送ったといわれている。