ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025に出演するアーティストたちに、音楽評論家の柴田克彦さんと八木宏之さんにインタビューいただきました。
それぞれの音楽性、人間性が垣間見える素敵なインタビューで、アーティストの演奏とラ・フォル・ジュルネへの理解が深まること間違いなし!
※インタビューは2025年ナントでのラ・フォル・ジュルネにて行われたものです。
ピアノを始めてからここまでの経緯を教えてください。
ジャズやボサノヴァ等のピアニストである15歳年上の兄が、家で有名な曲を沢山弾いていたので、私も自然と耳が馴染み、4歳でピアノを始めました。また父がハイドンの三重奏曲が好きで、それを子守歌にしてもいました。その後(今も)パリ音楽院で学び、時々ロンドンに行ってコヴァセヴィッチのアドバイスを受けています。
プロ活動はどの位行っていますか?
リサイタルは9歳から既に7年位やっています。自然にそうなったのですが、本格的な活動のきっかけは10歳の時のオーケストラとの初共演。特にここ2年は様々な協奏曲を弾いていますし、年間30回位の公演を行っています。
2018年にアルゲリッチが審査員を務めるヤング・ショパン・コンクールでグランプリを獲得されていますが、このコンクールの影響は?
そこでアルゲリッチに初めて会って親しくなったのが大きいですね。直接習うことはないのですが、コンサートの後に時々会ったりしていますし、色々な助けになってくれました。実際彼女のサポートなしにはできなかったこともあります。
LFJへの出演は?また今年のテーマについてはどう思いますか?
出演は昨年に続いて2回目。今回のテーマはとても面白く、創意を刺激してくれます。ナントで大好きなシューマンを中心に演奏できるのも理想的ですね。今回弾いた(東京でも演奏する)ソナタ第 1番は、3曲のソナタの中で一番美しいと思うのですが、あまり知られていないので、皆さんにその良さをお伝えすることができます。
ナントでは自作も弾かれましたが、作曲もされるのですか?
リサイタルを始めた9歳からやっています。作曲は音楽性を広げることができて、色々な方向に役立ちます。とはいえ私は演奏家として活動していきたい。作曲は続けますが、実になるかどうかわからないですし、1日何ページ作曲するといった無理な課題は与えないようにしたいと思っています。
東京ではリサイタルや室内楽のほかラヴェルのピアノ協奏曲を弾かれる予定ですね。この協奏曲の魅力は?
リズムなどの耳あたりが現代的で、真っ直ぐ心に響いてくる無駄のない傑作。私は第2楽章のフルートのソロが好きです。ピアノ独奏で始まるこの楽章も、次第に室内楽的な緊張感が生まれ、徐々に高まっていくのがいいですね。
ところで日本に行かれたことは?
今年のLFJが初訪日。1週間位滞在して、博物館や美術館を訪ねたりショッピングをしたいと思っています。
文:柴田克彦
LFJナントには何度も出演されていますが、改めてこの音楽祭の魅力をお話しください。
21世紀になってもフォームを刷新・開拓し続けている素晴らしい音楽祭。特に伝統的なコンサートホールから離れて、新しい聴衆に音楽との出会いを導いている点が凄いと思います。
やはり数多く出演されているLFJ東京では、ナントとの違いを感じますか?
東京の場合は、会場の規模もホールのサイズも大きいので、観客の数が桁外れに多い。クラシック好きがあれほど多く集まるのは驚くべきことです。そしてナントとの一番の違いは、全てが時間通りに行われていることでしょう。
今年のテーマについてはどう思われますか?
とても象徴的なテーマですね。場所が違っていても同じような音楽的感情を感じるのだなとの思いがします。また、都市や文化による審美観の違いがわかりますし、人々を吸引する音楽の力も感じられると思います。
今回のテーマでベートーヴェンの「クロイツェル」ソナタを選ばれた理由は?さらに(同曲と共に東京で演奏される)ヴィヴァルディ「四季」の魅力は?
「クロイツェル」は長年弾いていますし、レパートリーの中でも重要な作品。今回は色々なアイディアが浮かびましたが、ルネ・マルタンと相談してウィーンにまつわる本作を選びました。「四季」は沢山の要素が詰まった曲。ヴィヴァルディの自然に対する見方や愛着が感じられる音楽であり、幅広い審美観を網羅している作品です。また内容的には、様々な奏者が集まって共有できる出会いの場にもなります。
シャルリエさんの演奏を聴いてマイルドな感触を味わったのですが、そうした“フランス流”というものはあるのでしょうか?またよく言われてきた「フランコ・ベルギー派」については?
奏者各々が影響を受けてきたこと全てが演奏にも繋がる、習った先生、接した文学、絵画、料理、育った風景などが合金のようになっていると思います。その意味では私はフランコ・ベルギー派を継承しています。学んだ先生やパリの町からしてそうですね。
演奏の際に心がけていることはありますか?
例えばベートーヴェンを弾く時、彼の“声”になることです。僭越ながらベートーヴェンの内に入り、天才的な部分を彼に代わって語ること、つまり楽譜に溶け込んで作曲家の立場に身を置くことを心がけています。
最後に日本のファンへのメッセージを
日本の皆さんの音楽に対する熱心さ、知識や集中力にはいつも感服しています。そして私はフランコ・ベルギー派の良さをライヴで伝えていきたいと思っています。
文:柴田克彦
シベリアのウラン・ウデのご出身だそうですね。そこには何歳までいて、その後はどちらで学ばれましたか?
出生地には13歳までいました。それからノヴォシビルスクに移り、18歳からモスクワで学びました。
ピアノを始めたきっかけは?
母は数学を学ばせようとしたのに、ドアを間違えてピアノの部屋に入ってしまった。それがきっかけです(笑)。最初はロシアの児童向けの歌をピアノで弾いていましたが、その後は船に乗って流れに従った感じですね。子供の頃はお芝居が好きで、実際に演技もしていたのですが、それは13歳でやめて以後ピアノに専念しました。
そうしたスタートから2015年のチャイコフスキー国際コンクールで優勝したのは凄いですね。
チャイコフスキー・コンクールの1年前にベッドの中で自分の人生を考えました。そしてコンクールで優勝したらピアニストにならなければいけないと思ったのです。でも幸運にも優勝すると一挙にドアが開いて華やかなスポットが当たった感じでした。とはいえそれからの勉強が不可欠です。
マスレエフさんの演奏を聴いて、いわゆる“ロシアン・ピアニズム”を感じましたが、それについては?また影響を受けた音楽家や目指すピアニスト像は?
全くのロシア人なので“ロシアン・ピアニズム”以外は有り得ませんよ。それに影響を受けたのはラフマニノフ。ピアニスト、作曲家の両面でそうです。また、色々な奏者の演奏を聴いて、彼らを超えるピアニストを目指したいと思っています。まああえて目標とする名前を挙げればルガンスキでしょうか。
今回のLFJのテーマについてどう思われますか?
サンクトペテルブルグもサブ・テーマに入っていますし、私の持つレパートリーの中で的確なプログラムが組めるテーマですね。今回ナントで弾いたブラームスの協奏曲第1番は演奏を依頼された作品。LFJ東京では、ラフマニノフの協奏曲第3番やサン=サーンスの協奏曲第2番を弾くほか、リサイタル、二重奏、三重奏など多彩なプログラムを予定しています。特にラフマニノフの3番は巨大な作品で、私が本当に愛している音楽です。
これまで訪日の経験は?
PMFに行ってゲルギエフの指揮で演奏しましたし、その後ソロや室内楽も行いました。しかしコロナで5年間行くことができず、3度目の訪日を待ち望んでいました。ただ今年の5月も含めて毎回スケジュールがタイトで、ひたすら演奏するのみ。一度ゆっくり滞在して、町や食事、私が好きな建築などを堪能する時間をとりたいと思っています。
文:柴田克彦
LFJナントには何回位出演されていますか?また音楽祭の印象は?
1997年以降は3~4回を除いて毎年出演しています。この音楽祭は、素晴らしい音楽家が素晴らしい曲をカーネギーホール等と同様にベストを尽くして演奏し、初めてクラシックを聴く聴衆にハイレベルの演奏を提供しているといった印象。しかもそうした演奏を低価格で楽しめるのは画期的だと思います。
LFJ東京にも度々出演されていますが、ナントとの違いを感じますか?
コンセプトは同じなので似ているとは思いますが、東京はLFJの「ハンマークラヴィーア」(ベートーヴェンの最大のピアノ・ソナタであり、同ソナタの王様的な作品)のようなもの。5000席のホールがあり、クラシック愛好家もとても多いです。演奏家は皆「東京に行きたい」と言いますし、日本文化にも魅了されていますよ。
ギィさんといえばベートーヴェン。特に惹かれる点は?
確かにベートーヴェンの作品は、ソナタと協奏曲の全曲のほか、室内楽も演奏していますし、交響曲─2、4、5、7番─の指揮もしています。ベートーヴェン以前には、宗教や神をテーマにした曲が多かったのですが、彼が初めて怒りや喜びといった人間のあらゆる感情を音楽にしました。またピアノという楽器を変化させ、演奏のテクニックを進化させました。
ベートーヴェンを弾く際に最も注意していることは?
ペダルを自由に、管弦楽のように使うといった面もあるのですが、私が一番大切にしているのはリズムと内面的なエネルギーです。遅い部分は心を込めて弾き、速い部分は推進力がありながらも自由に弾くこと。加えてベートーヴェンが新たに推し進めたのは感情の解釈です。人間の感情には、怒りや喜びだけでなく、その間のグレーなものもあるので、ベートーヴェンの作品は音の裏にあるものを読まないといけません。ハイドンやモーツァルトは楽譜をきちんと追っていけばそれで音楽になりますが、ベートーヴェンは違います。
ソナタの全曲演奏も複数回されていますが、特に好きなソナタは?
「ハンマークラヴィーア」です。確かに難しくて長いのですが、この曲は4回─32曲の全曲以外に2回─録音しています。ただし、初期の作品も最後の3曲も好きです。全て内容が充実していて、32曲それぞれに全く違う世界観がありますので、その時に演奏しているソナタが一番好きとも言えますね。
協奏曲、室内楽曲、ソナタの違いを感じますか?
原則としては一緒です。ただし、協奏曲の1番と2番は若い時の作品、3番は青年期から成熟期に移る過渡期の作品で、4番はピアノがオーケストラの中にいるような、両者の関係性が変わった作品。5番はカデンツァを最初に持って来るなどより強い書式になり、これまでの曲とは違っています。従ってこれらを同じように弾くことはできませんし、そもそもベートーヴェンはラフマニノフやプロコフィエフのようには弾けません。そこには自己抑制が必要です。
今回ナントでは協奏曲第3番を弾き振りされました。これはよくやられているのですか?東京では指揮者(鈴木秀美)がいる形で第5番「皇帝」を演奏されますが、また違ったものになるのでしょうか?
弾き振りはこの10年で経験を積みました。弾き振りをすると、ピアノとオーケストラが1つのファミリーになり、考え方も1つになります。それにベートーヴェン自身がそうでしたので、歴史を踏襲してもいます。とはいえ、指揮者との相性が良ければ素晴らしい演奏になりますし、指揮者とやるのが嫌なわけではないですよ(笑)。5番は協奏曲の中では一番好きな曲ですが、ピアノが難しいので指揮者がいた方がいいかもしれません。
文:柴田克彦
ご出身はどちらですか?またギターを始めたきっかけは?
アフリカ北東部のジブチで生まれ、生後4ヶ月でフランスに移りました。ギターを始めたのは6歳の時。ラジオ等で音を聞いてやりたいと思ったのがきっかけではありますが、とにかく弾きたくて仕方なかったのです。ただし最初の3年位は独学で、9歳から音楽学校で学びました。
色々な楽器がある中でギターに惹かれたのはなぜでしょう?
とにかく惹き付けられましたね。まああえて言えば、楽器自体の姿と、様々な機会に耳にできる親しみやすさでしょうか。
プロ奏者になるきっかけは?
始めた時からプロになりたかったですし、15~6歳からコンサートで弾いてはいましたが、プロとして本格的な活動を始めるきっかけは、20歳の頃アメリカのコンクールで優勝したことです。
その後のキャリアは順調ですか?
そうですね。コンサートも沢山ありますし、ドイツ・グラモフォンに録音するなど、国際的な活動ができています。何しろギターでグラモフォンと契約するのは20年に一度位のことですから。
ギターは多様なジャンルで活躍していますが、その中でクラシックに力を注がれる理由は?
フランスの音楽院でギターを学ぶ際にはクラシックが中心になりますし、レパートリーも広いので自然とそうなりますよね。
LFJナントへの出演は初めてですか?またその印象は?
正式には今回が2回目です。ソリストとして初出演した昨年はリサイタルを何回か行いましたが、協奏曲は今年が初めて。この音楽祭は、様々な作品やアーティストと出会える場所だと思っています。
今回のLFJのテーマについて、またリサイタルのコンセプトは?
とても充実したテーマだと思います。そこで私は「パリのスペイン人」を中心にしたリサイタルを行うことにしました(東京でも同様)。パリはグラナドスやアルベニス、ヴィラ=ロボスやピアソラなど多くの作曲家が集まった町ですから。
もう1つ、「アランフエス協奏曲」については?
ギターにとってエンブレム(象徴)のような曲。素晴らしい作品で、世界的にも知られています。私はフラメンコを意識して弾きたいと思っています。具体的には、第1楽章はダンスなのでドラマティックに、第2楽章は感情をこめてエモーショナルに弾きたいですね。
最後にLFJ東京に向けての思いをお聞かせください。
日本に行くのは今回が初めてです。日本人はクラシックもギターも好きなので、どんな雰囲気なのか興味がありますし、色々な庭園などにも行ってみたいと思っています。
文:柴田克彦
今回のLFJナントではバッハとメンデルスゾーンの協奏曲を続けて弾かれましたが、素晴らしかったですね。
ありがとうございます。この2曲はエスプリも時代も違っていて、共通点はライプツィヒだけ。ですから私にとっては1つのチャレンジで、メンタル面も技術面も周到な準備が必要でした。
LFJナントにはどの位出演されていますか?その印象は?
2020年から毎年出演しています。LFJは世界でも独自の魅力を持った音楽祭。聴衆だけでなく演奏家の創意も刺激してくれます。
LFJ東京については?
LFJ東京は昨年初めて出演しました。ただその前に3回訪日し19都市で演奏しています。LFJナントと東京は、コンセプトやエネルギーの点では変わりません。ただ、昨年演奏した5000人のホールはナントにはないのでとても印象的でした。それに日本のファンは細かな部分まで注意深く聴いてくれる素晴らしい聴衆です。
今回のテーマについてはどう思われますか?
興味深いテーマですね。テーマは時代や様式で括られることが多いのですが、今回は違うアングルから音楽を見ることができますし、新しい発見があります。それに当時大変だった旅行が音楽にも影響を及ぼしたことを感じることができます。
日本でも演奏されるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の特徴や魅力は?
歴史的にみるとジャンルを変えた曲です。ロマン派の最初の協奏曲であり、管弦楽の前奏なしに冒頭からソロが入るのも、カデンツァを第1楽章の真ん中に持ってきたのもヴァイオリン協奏曲では初めて。音楽自体は非常にピュアで、詩的な美しさや博愛主義的な要素が感じられますし、とてもナイーブで崇高です。ただ、私も含めて若い時に弾くことが多い作品ですが、今になってみると複雑で深みのある難しい曲であることがわかります。音楽としての深みと大衆的な分かりやすさのバランスを取るのが大変。メンデルスゾーンは皆が聴いてすぐにわかるような曲を作りたいとの希望があったので、シンプルかつクリアな材料が揃っているのですが、それでいてメッセージはとても深いと思います。
ところで、ヴァイオリンを始められてから、ここまでの経緯は?
家族は音楽愛好家ではあったのですが、私が生まれたブルガリアでは音楽で生きていくのが難しかったので、音楽家にはなって欲しくないと思っていたようです。しかし私は4歳から親に隠れてヴァイオリンを習い始め、5歳でオーケストラと共演して初めて許可が降りました。そして、11歳からドイツのハンブルク、19歳からブリュッセル、22歳からベルリンで学び、その後パリに移りました。おかげで、フランスのレパートリーはフランス人、ドイツのレパートリーはドイツ人の先生に習うなど、色々な楽派を会得することができました。
お好きな音楽家、影響を受けた音楽家は?
指揮者のアーノンクール、アバド、カルロス・クライバー、フルトヴェングラーやキリル・ペトレンコ、ヴァイオリニストではバティアシヴィリ、テツラフ、カントロフなどでしょうか。
ヴァイオリンを弾く際に最も注意している点は?
レパートリーや形態によって違います。例えばメンデルスゾーンの協奏曲なら、第1楽章は情熱的なので、落ち着いて弾きすぎると音楽を殺してしまう。でも第2楽章は落ち着いて、第3楽章は陽気に弾かないといけません。ただこれはオーケストラやその時の状況次第でもあります。またホールの大きさによって右手の使い方が違ってきます。5000人のホールと200人のホールで同じようには弾きません。でもLFJ東京の5000人のホールは、無理矢理音を出さなくても大丈夫ですよ。
今後目指す音楽家像、ヴァイオリニスト像は?
私の理想はあくまで音楽。作曲家に敬意を払いながら、自分の感情表現を高いレベルで聴衆にうまく繋げられるようにしたいですね。それには休みなく進化し続けることが必要です。
日本で好きな町や場所はありますか?
東京は何でもある町なので凄く好きですし、あとは大阪、札幌、名古屋、京都など。それに日本はどこへ行ってもホールが素晴らしく、その点では音楽家にとって夢のような場所です。
文:柴田克彦
LFJナントにはどの位出演されていますか?また音楽祭の印象は?
12年前に初めて参加し、その後も何度か出演しています。この音楽祭は、ソロだけでなくアンサンブルのコンサートもありますので、国内外の様々な音楽や音楽家と出会える。その点が素晴らしいと思います。
今年のテーマについてはどう思われますか?
とても幅広いテーマですね。特に19世紀は、インターネットやSNSはおろかレコードも存在しませんでしたから、音楽を聴くには移動するしかなかった。それに当時は音楽家だけでなく画家や彫刻家など皆が知り合いでした。今回はそのように色々な人が集まったことを映すテーマだと思います。
今年日本で演奏されるファリャ「スペインの庭の夜」の魅力は?
ピアノがフィーチャーされながら“協奏曲”ではなくイメージ的なタイトルが付けられているのが特徴的です。私はスペインの音楽が好きですし、この曲はそうしたスペイン色、さらに言えばギター風のところが魅力だと思います。
ジュニエさんは様々なコンクールで実績をあげていますが、それがもたらしたものとは?
コンクールは色々な人と出会う場であり、受賞も自分を売り込む助けにはなります。ただし結果自体は1つのキャリアに過ぎません。
これまで影響を受けた音楽家は?
ミハイル・プレトニョフ、アンドラーシュ・シフ、グリゴリー・ソコロフ、存命中の方ではこの3人です。あと亡くなった人ではラフマニノフ、フランス系ならコルトーでしょうか。
今後力を注ぎたいレパートリーややりたいことはありますか?
来年はアレッサンドロ&ドメニコ父子のスカルラッティ・プロジェクトを行う予定。彼らはイタリア人でありながら音楽はスペイン風でギターの技巧などを採用しています。
あとオーケストラの指揮をしたいと思っています。もちろんピアノは続けますが、今ドイツで指揮の勉強をしていますし、パーヴォ・ヤルヴィ等のマスタークラスを受講してもいますので、徐々に取り組んでいきたい。時間がかかるとは思いますが、バレンボイム、プレトニョフ、シフ等が理想像ですね。
日本には何度もいらしていますが、その印象は?
アートや工芸など感性が凄いと思います。例えば庭園にも美学的な感性が生きていますので、私は日本の庭を散歩するのが大好きです。京都は何回も行きましたし、広島響と共演した際には、朝4時に起きて宮島へ行き、日の出を見てとても感激しました。また、歌舞伎や能のヴォーカル的な話し方にも魅了されています。
文:柴田克彦
ナント出身のエリプソス四重奏団にとって『ラ・フォル・ジュルネ』はどういった存在なのでしょうか?
ポール=ファティ・ラコンブ(ソプラノ・サクソフォーン):『ラ・フォル・ジュルネ』はヨーロッパでも有数の規模を誇るフェスティバルで、ナントの文化生活に欠かすことのできない重要なイベントです。私たちにとってはキャリアの始まりとなったフェスティバルでもあり、カルテットを結成した2004年に初めて『ラ・フォル・ジュルネ』で演奏し、キオスクの無料公演にデビューしました。当時私たちは17歳の青年でした。2015年からは公式に招待されるようになり、以来毎年のようにここで演奏しています。アーティスティック・ディレクターのルネ・マルタンは私たちのような若いアーティストにもチャンスを与え、クラシック音楽の世界ではあまり注目されていなかったサックス四重奏にも光を当てるなど、とても先見性のある人です。
サックス四重奏はあまり注目されていなかったとのことですが、フランスにはクラシック・サックスの長い歴史と伝統がありますね。
シルヴァン・ジャリ(テナー・サクソフォーン):20世紀半ばには、マルセル・ミュールやダニエル・デファイエなどによって、フランスにおけるクラシック・サックスは大きく発展しました。ミュールがパリ音楽院の教授に就任した1942年は、サックスの歴史にとって重要な分岐点です。しかし、クラシック音楽の領域では、次第にサックスの勢いが失われてしまいました。1980年代以降に、その魅力が再発見されて、クラシック・サックスの伝統は息を吹き返したのです。とりわけサックス四重奏のような室内楽を通して、ジャズでイメージされるものとは異なる、クラシック・サックスの多彩な音色とその可能性が知られるようになったのです。
エリプソス四重奏団の音色には、サックスが木管楽器であることを思い出させてくれるようなあたたかみがありますね。
ジャリ:そうした音色は、奏法だけでなく、私たちが愛用している楽器とも関係していると思います。エリプソス四重奏団は昨年から日本のメーカー、ヤナギサワの楽器を使うようになりましたが、この楽器は音が繊細で柔らかく、とても優しい響きを持っています。
女性をテーマにした室内楽のプログラムでは、ピアニストのジャン=フレデリック・ヌーブルジェと共演します。ヌーブルジェとの演奏はエリプソス四重奏団にとってどのような意味を持つのでしょう?
ジュリアン・ブレシェ(アルト・サクソフォーン):ヌーブルジェさんは天才的な音楽家で、彼のようなピアニストと共演できることはとても幸せなことです。ヌーブルジェさんは私たちの最新アルバム『シンフォニック・ストーリーズ』にも参加してくださり、共演を重ねるなかで、少しずつ仲間としての意識を育んできました。これまでにも偉大なピアニストたちと音楽をともにしてきましたが、ヌーブルジェさんは本当に特別な存在で、私たちに多くのインスピレーションを与えてくれています。
『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』では、ファビアン・ワックスマンの《アルテミスの夢》の管弦楽版日本初演にも注目が集まっています。
ニコラ・エルエット(バリトン・サクソフォーン):エリプソス四重奏団の結成20周年を記念して、ワックスマンに依頼したサクソフォン四重奏協奏曲《アルテミスの夢》は、最初にピアノ版が完成し、こちらはすでに昨年の『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』で演奏しています。管弦楽版も2024年10月にシカゴで世界初演を行い、今回の『ラ・フォル・ジュルネ de Nantes』でも演奏します。《アルテミスの夢》は人類の月への挑戦をテーマにした作品で、第1楽章ではアポロ11号の月面着陸が、第2楽章ではコロムビア号の悲劇が描かれます。第3楽章では宇宙飛行士の死を悼み、第4楽章では2026年に予定されているアルテミス3号のミッションに光が当てられます。音楽芸術を含む人類のあらゆるデータをクリスタル製のディスクに収めて月へと届けるプロジェクト「Sanctuary on the moon」に関連したテキストの朗読も日本語で行われる予定で、音楽ファンだけでなく宇宙に関心がある人にも楽しんでもらえるような公演になるでしょう。私たちが日本へ行くのはこれで3回目となりますが、クラシック音楽を深く理解している日本のお客様に私たちの演奏を聴いていただけることは、本当に光栄なことだと思っています。5月に皆様にお目にかかれるのを楽しみにしております。
文:八木宏之
先ほど聴かせてくださった、ライプツィヒとJ.S.バッハをテーマにしたプログラムは『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』でも披露されます。このプログラムの聴きどころを教えてください。
リサイタルの冒頭に弾いた、ブラームスの編曲による左手のための《シャコンヌ》(BWV1004)は、飾り気や表面的な華やかさはありませんが、実直な美しさが魅力的な作品です。《トッカータ》(BWV916)や《パルティータ第2番》(BWV826)にも、やはり厳格で禁欲的な側面があります。しかし、同時にバッハの音楽には感情の揺らぎや内面の表出も見られるのです。そこには信仰の表明だけでなく、人間的な情熱や葛藤も含まれます。構築的でありながらも、抒情的であるバッハの音楽は、リストやブラームスといった、ロマン派の作曲家たちに大きな影響を与えました。同時代を生きたヘンデルの音楽のほうがずっと堅固で、そのスタイルはベートーヴェンを思い起こさせます。一方でバッハの音楽はよりロマンティックです。
これまで、バッハの音楽の厳格で構築的な側面にばかり注目していましたが、そこにはロマンティックな要素も含まれているとの意見は大変興味深いです。オルガンも学ばれたヌーブルジェさんにとって、バッハの音楽は子供時代から身近なものだったのでしょうか?
バッハのオルガン音楽を演奏することはとても興味深い体験です。というのも、バッハのオルガンのための作品の多くは、カンタータと同様に、教会暦と結びついていました。キリスト教には待降節、クリスマス、受難節、復活祭、聖母被昇天など、年間を通してさまざまな祭日、祝日があり、バッハはそれぞれのイベントにふさわしいオルガン作品を作曲しました。そうした作品群には怒りや嘆き、喜び、期待など、多様な感情表現が含まれていて、演奏家にとっては大変勉強になる音楽なのです。
『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』では、ヴァイオリンの神尾真由子さん、ヴィオラの瀧本麻衣子さん、チェロの横坂源さんとともに、マーラーとコルンゴルトの室内楽も演奏されます。このプログラムについても教えてください。
このプログラムでは、マーラーとコルンゴルト、ふたりの天才作曲家の青年時代の作品を取り上げます。ふたりには、のちに管弦楽の大作を書くようになったという共通点があります。19世紀末から20世紀初頭は、音楽史上もっとも実り豊かな時代でした。ヨーロッパ各国で多種多様な表現様式が打ち立てられましたが、今回はこの時代のウィーンで顕著だった表現主義のスタイルをお聴きいただきます。
お話にあったようにマーラーは交響曲作曲家として知られていますが、ピアノ四重奏曲断章におけるマーラーのピアノ書法については、ピアニストとしてどのような意見をお持ちですか?
もちろんこれは若い作曲家の習作ですから、リストやショパン、ラヴェルのような超絶技巧は含まれていません。しかし、マーラーの対位法書法はこの時点ですでに熟達したものです。オーケストラの響きを思わせるような巧みな楽器法も注目に値します。この作品を弾いていると、私はベルクのピアノ・ソナタ(作品1)を思い出します。ベルクはこのソナタの第1楽章を完成させたあと、当然続きの楽章も書こうとしました。しかし師のシェーンベルクに、すでによく書けているから次の曲に進むべきだとアドバイスされ、結局このソナタは単一楽章の作品になりました。それと同様に、マーラーのピアノ四重奏曲断章も続く楽章を予感させますが、実際にはそれは書かれなかった、あるいは放棄されたのです。
コルンゴルトのピアノ三重奏曲は彼が12歳で書き上げた作品で、その完成度の高さは世界に衝撃を与えました。コルンゴルトの音楽は近年日本でも人気が高まっており、演奏機会も増えています。
コルンゴルトの書法には、マーラーや新ウィーン楽派だけでなく、フランスのラヴェルやドイツのリヒャルト・シュトラウス、ロシアのラフマニノフなど、当時の最先端のさまざまな音楽からの影響が見出せます。マーラーのピアノ四重奏曲断章と同じく、コルンゴルトのピアノ三重奏曲にも作曲家の未来を予感させる要素があり、音色や雰囲気の多彩な変化は実に映画音楽的です。コルンゴルトの音楽の豊かな色彩は、演奏家が上手にコントラストをつけないと聴き手が全体像を見失ってしまうおそれがあるので、少し注意が必要です。
ナントでも熱狂を巻き起こしたヌーブルジェさんとエリプソス四重奏団の共演を、東京で再び聴くことができるのも大変楽しみです。
エリプソス四重奏団とのコラボレーションは今年で2年目ですが、彼らとは素晴らしい関係を築けていると思います。ピアニストはいつも様々な楽器と室内楽に取り組みますが、サクソフォンと共演する機会はあまり多くないので、私にとってエリプソス四重奏団との仕事にはたくさんの学びがあるのです。『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』では、ソロ・リサイタル、室内楽、コンチェルトといくつものプログラムを用意しているので、どうか楽しみにしていてください。
文:八木宏之
『ラ・フォル・ジュルネ de Nantes』への参加は今回が初めてとのことですが、演奏を終えてこの音楽祭にどういった印象を抱かれましたか?
『ラ・フォル・ジュルネ』はプログラムのバラエティがとても豊かで、演奏家とお客さんの距離も近く、アーティスト同士の繋がりも密接なフェスティバルだと思います。アーティストやスタッフが混ざり合って一緒に食事を取るなど、ほかの音楽祭にはないアットホームな雰囲気が魅力的です。ここで演奏できたことはとても光栄なことでした。
東京でも披露される「四季世界一周」は、今年のテーマの「Villes phares」(主要都市の意、東京でのタイトルは“Mémoires ー音楽の時空旅行”)にぴったりのプログラムですね。
ヴィヴァルディに始まり、フォーレ、サン=サーンスからブラームス、バルトーク、そしてガーシュウィンやバーンスタインに至るまで、国も時代も異なる多様なレパートリーを、まさに時空旅行のように楽しんでいただくプログラムです。クラシック音楽の世界では、いつも似通ったプログラムを依頼されることが多いのですが、アーティスティック・ディレクターのルネ・マルタンは、私の提案を喜んで受け入れてくれました。
ヴェネツィアの春、パリの夏、ブダペストの秋、そしてニューヨークの冬と、世界4都市で四季を味わうプログラムは、ファウリーシさんのルーツやアイデンティティとも関連していますね。
その通りです。パリは私が生まれ育った街であり、大切な故郷です。また私の父はイタリアのシチリア生まれ、母はセルビア出身なので、イタリアや東欧の音楽も私にとって重要な意味を持っています。ヴィヴァルディの時代のイタリアと現代のイタリアでは様々なことが異なっていますが、《四季》の音楽に込められたイタリア的なユーモアの感覚は今も変わりません。またブダペストを中心とした東欧には、ヨアヒムなどに始まるヴァイオリンの伝統があり、東欧楽派の音楽的遺産は今日まで受け継がれています。イタリアの音楽も東欧の音楽も、楽譜には書かれていない文化的情報を読み解いて、それを演奏で表現することが大切だと思っています。
共演するハンソン四重奏団とのアンサンブルも、とても息のあったものでした。
ハンソン四重奏団とは初共演から意気投合して、すぐに友人になりました。これほど素晴らしいカルテットと共に音楽を作り上げることができるのは、本当に得難い経験です。私が日本へ行くのは今回が初めてですが、ハンソン四重奏団のリーダーであるアントン・ハンソンは15年間東京で暮らしていたので、彼に日本についていろいろと教えてもらおうと思っています。日本で訪れたいところはたくさんありますし、日本のお客様と素晴らしい音楽を共有できることをとても楽しみにしています。
文:八木宏之
アンサンブル・レザパッシュ!の結成の経緯とそのコンセプトを教えてください。
アンサンブル・レザパッシュ!は5年前にフランスで結成されました。音楽とほかのアートの領域を融合させることがこのアンサンブルのなによりのコンセプトです。これまでにも、俳優やダンサー、映像作家など、さまざまなアーティストとコラボレーションを重ねてきました。こうしたコラボレーションの目的は、作曲家がインスピレーションを得たアイデアの源泉を聴衆に示すことです。ナントと東京で披露するプログラムで俳優が歌曲の原詩を朗読するのも、そうした狙いがあるのです。
また20世紀初頭の作品と今日の作品を組み合わせてプログラムを構成することで、音楽史における過去と現在の対話を体験していただくことも大切にしています。ラヴェルやストラヴィンスキー、ドラージュの作品とともに、ファビアン・トゥシャールのような若い世代の作曲家の作品も取り上げることで、フランス音楽のエクリチュールがどのように今日まで継承されてきたのかを知ることができるでしょう。
アンサンブル・レザパッシュ!には、どのような演奏家が参加しているのですか?
ヨーロッパ各地の音楽院で学んだ若い演奏家たちが参加しています。日本人のヴァイオリニスト、小島遼さんも結成当初からのメンバーで、彼はフランス国立オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ管弦楽団のコンサートマスターを務める名手です。
『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』に持ってきてくださるプログラムについて、楽しみ方のヒントを教えてください。ひとつ目のプログラム「異端児!〜“アパッシュ”ラヴェルに捧げるスキャンダラスな演奏会」では、生誕150年を迎えるラヴェルに光が当てられます。
私たちのアンサンブルの名前の由来となっている「アパッシュ(不良の意)」は、ラヴェルが仲間たちと結成した芸術家のグループで、音楽家だけでなく、画家や詩人、批評家も参加していました。ラヴェルは素朴な人であると同時に、デリケートな人でもあり、また陽気な人でもありました。ラヴェルの音楽は20世紀初頭の聴衆に驚きをもたらし、ときにスキャンダルも巻き起こしました。ラヴェルは聴衆に罠をしかけることすらあったのです。今回の演奏会では、皆さまに当時の聴衆と同じような体験をしていただくべく、クイズも用意しています。20世紀初頭のパリのコンサートホールは、しばしば演奏中に指笛が鳴らされるなど、とても騒がしかったのですが、聴衆は音楽をちゃんと聴いていました。現代のお客様は少し真面目過ぎるところもありますので、当時のユーモアや遊び心を再現して、客席に新鮮な反応をもたらしたいと思っています。
ふたつ目のプログラム「レザパッシュにご注目!」では、先ほどのお話にもあったように、俳優による詩の朗読も行われます。
このプログラムは、1914年にパリで開催された「独立音楽協会」の演奏会をテーマにしています。この演奏会で同時に初演されたラヴェル、ストラヴィンスキー、ドラージュの作品を中心に、作曲家へインスピレーションを与えた日本の俳句やヒンドゥー語の詩も朗読されます。俳優の声もひとつの楽器であり、音楽と言葉のマリアージュをお楽しみいただけるでしょう。20世紀初頭のパリでは、万国博覧会を通して遠いアジアの文化に接することができましたし、作曲家たちはそこで得た体験を自らの音楽にも取り入れようとしました。そうした時代の空気をサロンのようなリラックスした雰囲気のなかで味わっていただけるプログラムだと思います。
フランスで書かれた、時代の異なるふたつの舞台作品《エッフェル塔の花嫁花婿》と《マンガ・カフェ》が一度に楽しめるプログラムにも注目が集まっています。
ジャン・コクトーの依頼でフランス六人組のメンバーが共作した《エッフェル塔の花嫁花婿》は、シュール・レアリスティックなバレエ作品としてパリにスキャンダルを巻き起こしました。21世紀のフランスの作曲家、パスカル・サヴァロの《マンガ・カフェ》は、日本のネットカルチャーが生んだ文学作品『電車男』を原案にしたユニークなオペラです。フランスの舞台芸術の多様性や時代を超えていくユーモアをどうか楽しんでいただけたら嬉しいです。
文:八木宏之
レイさんは『ラ・フォル・ジュルネ de Nantes』に毎年のように出演する、フェスティバルの看板アーティストのおひとりです。ジャズ・ミュージシャンが『ラ・フォル・ジュルネ』のようなクラシック音楽の音楽祭に参加する意義をどのように考えられていますか?
私はアーティスティック・ディレクターのルネ・マルタンに招かれて、11年前から『ラ・フォル・ジュルネ』に参加しています。ルネはジャンルの垣根なく音楽を捉える人ですし、クラシック音楽とジャズには強い繋がりがあります。フェスティバルの聴衆にとっても、ジャズのようなクラシック音楽の周囲にある音楽に触れるチャンスがあることは素晴らしいことだと思います。
レイさんがジャズの演奏を始めたきっかけはどういったものだったのでしょう?
5歳のときにピアノを習い始めて、最初はクラシック音楽を勉強していたのですが、もっと自由に演奏したかった私は、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンの音楽に少しだけ自分のスタイルを加えて楽しんでいました。そんな私に先生は即興演奏やジャズを勧めてくれたんです。父も私にジャズのレコードを聴かせてくれました。それで、7歳のときにジャズの勉強をスタートさせました。私の先生は広い視野を持ったアバンギャルドな人で、このときすでに高齢だったにも関わらず、当時登場したばかりのパソコンを使って、音楽を学ぶための様々なゲームを開発したりしていました。ピアノを始めたときに彼女のもとで学べたのは、私の人生にとってとても幸運なことでした。
ナントと東京で演奏されるガーシュウィンの《ラプソディ・イン・ブルー》のピアノ・トリオ版には、オリジナルと比べてソリストの即興がより多く含まれています。これはレイさんによる編曲ですね。
《ラプソディ・イン・ブルー》はジャズとクラシックが交錯する作品です。私はこの作品を演奏するにあたり、ガーシュウィンの楽譜を徹底的に分析、研究しました。即興演奏は完全に自由なものに聴こえますが、1番大切なのは実はフォルムなのです。法則や枠があるからこそ自由でいられるという点は、日本の俳句と同じです。《ラプソディ・イン・ブルー》にもフォルムがあり、私はガーシュウィンが作った枠を尊重しながら、彼自身もそうしていたように、カデンツァにより自発的な要素を加えることにしたのです。
壷阪健登さんとのデュオにも大きな注目が集まっています。壷阪さんはレイさんにとってどのような音楽家なのでしょう?
2ヶ月ほど前に、ルネが壷阪健登という素晴らしいピアニストがいると連絡をくれて、彼のアルバムを送ってくれました。アルバムの最初の音を聴いた瞬間、この人はとんでもない音楽家だと確信しました。そして数曲を聴いて、その深い精神性に触れ、ルネに壷阪さんとぜひ共演したいと伝えました。ナントに来て初めて壷阪さんと一緒に演奏しましたが、彼は若くしてすでに高い完成度を誇る、素晴らしいアーティストです。これからさらに飛躍して欲しいと願っています。デュオの演奏会では、彼の曲と私の曲、そしてジャズのスタンダード・ナンバーを織り交ぜたプログラムをお聴きいただきます。
『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』へ向けて、日本の聴衆にメッセージをお願いします。
私はこれまでに5回、日本を訪れています。そのうち2回が『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』のための訪日でした。日本はジャズを深く理解している国で、コンサートホールやライブハウス以外のさまざまな場所でもジャズがかかっています。こうした国は世界でも稀です。日本の人々のジャズに対する敬意のほかにも、禅の精神や美しい建築など、私が日本を好きな理由はたくさんあります。今年も再び日本を訪れることができて、本当に嬉しく思っています。ピアノ・トリオ版の《ラプソディ・イン・ブルー》も壷阪さんとのデュオも、ぜひ聴きに来てください。皆さまにお会いできるのを楽しみにしております。
文:八木宏之
壷阪さんはどういったきっかけでジャズ・ピアノを始められたのでしょう?
ピアノは小学校1年生のときに習い始めました。最初は街のピアノ教室でクラシック・ピアノからスタートしましたが、ハノンやバイエルをシステマティックに学ぶのではなく、弾きたい曲を自由に弾かせてくれる先生でした。中学校1年生のときに『題名のない音楽会』で山下洋輔さんの弾くガーシュウィンの《ラプソディ・イン・ブルー》を聴いたのが、ジャズに興味を持つきっかけになりました。その後、日比谷公園の野外音楽堂で山下洋輔トリオの復活公演を聴いて、完全にノックアウトされてしまいました。フリージャズに接したのもこのときが初めてでした。
壷阪さんは慶應義塾大学に進学されたあと、ボストンのバークリー音楽大学でジャズを学ばれました。アメリカに留学しようと思ったのはなぜなのでしょう?
日本では法学部政治学科で勉強しました。大学1年生のとき、『サイトウ・キネン・フェスティバル松本(現在のセイジ・オザワ 松本フェスティバル)』でジャズ・ピアニストの大西順子さんのワークショップに参加する機会があり、そこで自分のジャズのボキャブラリーがいかに乏しいかを痛感しました。そして一つひとつの音楽言語にどんな歴史があるのか、しっかり学びたいと思うようになりました。それでバークリー音楽大学に留学することに決めたのです。日本での学生時代には高田馬場のジャズクラブでセッションにしばしば参加し、ベースの楠井五月さんやドラムの石若駿さんと一緒に演奏する機会もありました。その頃から、少しずつジャズ・ピアニストになることを考えるようになりました。
壷阪さんは今年『ラ・フォル・ジュルネ』にデビューされましたが、ソロのステージもポール・レイさんとのデュオも、ナントの聴衆は大いに沸いていました。初めて『ラ・フォル・ジュルネ』に参加して、どのような印象を抱かれましたか?
フェスティバル全体がひとつのセッションのようで、なにが起きるかわからないドキドキ感がジャズの即興に近いと感じました。公演数がとても多い音楽祭ですが、アーティストもスタッフも皆がいきいきとしています。そうしたタフでスピーディーな環境はとても刺激になりました。また『ラ・フォル・ジュルネ』は尊敬する小曽根真さんとの縁も深い音楽祭で、私が小曽根さんの演奏を初めて聴いたのも『ラ・フォル・ジュルネ TOKYO』でした。そのときはプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を聴き、サイン会にも並んだことを覚えています。そうした思い出のある音楽祭に出演できることはとても光栄です。
レイさんとの初共演はいかがでしたか?
レイさんは素晴らしいミュージシャン、コンポーザーで、とても華のある人です。デュオでは、長いキャリアと経験を誇るミュージシャンのフィールドに乗っかる面白さがありました。レイさんのなかには確固たるアイデアがあるので、それをふたりで共有し、ディスカッションするのがとても楽しかったです。ステージではハプニングもありましたが、それもライヴの魅力のひとつだと思っています。
東京では、壷阪さんがジャズと出会うきっかけとなった《ラプソディ・イン・ブルー》の演奏も披露されます。この公演は3歳から参加することができるものなので、多くの子供たちが壷阪さんの演奏を聴きにくるかと思います。
《ラプソディ・イン・ブルー》はすでに4回弾いていますが、子供たちの前で弾くのも、5000席のホールで弾くのも今回が初めてなので、思い切って飛び込みたいと思っています。《ラプソディ・イン・ブルー》では即興もお楽しみいただきます。もちろん、ジャズ・ピアニストだからといって作品のフォルムを崩してしまうのは、マスターピースへの敬意に欠けているので、ガーシュウィンの書いた楽譜をしっかりと弾き込んだうえで、即興的要素を加えるつもりです。作曲家の残した楽譜を研究し、誠実な態度で作品と向き合うことはなにより大切だと思っています。ソロ・ステージ、レイさんとのデュオ、そして《ラプソディ・イン・ブルー》。どの公演もぜひ注目していただけたら嬉しいです。
文:八木宏之